命を失うことと比べれば
命を失うことと比べれば、
って
そんな大きなモノと比べたら、優先順位はひとつしかないように感じてしまうけど
病気とかケガにしてもね、ヒトの対応の違いって、命が無くなる確率順に、関心度がランク付けされるんだよね
私は乳ガンになったけど、初期のリンパ節転移はギリなくて、部分切除と放射線治療とホルモン剤服用、ていう軽いランクのガン
おまけに年齢も更年期に入るくらいだから、早期発見良かったね、の一言で終わってしまう
お医者にしても、命が助かるが全て優先だ
でもね
死なずに済むなら、命さえあればいい、なんて思いは一時的なことなんだなぁと感じてる
人によっては
30年生きるより、5年生きて、その間に子供産んで育てる時間が少しでも経験できたらそっちの方がいいって人もいるかもしれないし
命は
夢や希望や喜びや楽しさやそんな、生きがいと言えるような何かに支えられて存在してる
人として生かされてる私には、自由と尊厳があってこそ、命の存在するかいがある、と今強く感じてる
命のある意味とか、価値とか、そんな事まではわからないけどね
(これは今の私の主観です)
私は整体や美容矯正という施術を通して、女性の健康や美容をサポートする仕事をなりわいとしてるのですが、
乳ガン、ていう経験をふまえて、私が思ったのは
〇〇と比べたらって、
おっきな事柄と比べられて些細なこと、と切り捨てられてしまうような気持ちや想いに
寄り添えるのが
整体やリラクゼーションやエステなんかの役割なんじゃないかなって思う
エステや整体を受けなくても、生きてはいける
そう
生きてはいける
でも
その生きるの中身には、何が詰まってる?
痛い、辛い、苦しい、寂しい、憎い、怖い、悲しい、そんなものばかり詰まってたら、命いらないって思っちゃうよね
でも、その中身が
楽しい、嬉しい、気持ちよい、美味しい、あったかい、優しい、ワクワク、ときめき、、そんなものでいっぱいだったら、ずっとこのまま命は続いてて欲しい、て思うよね
だから
整体もエステもリラクゼーションも、その人の命が心地よいって、幸せって感じられて、生きてるの中身が辛いから気持ちいいに入れ替える癒しの場、なのかなぁ、と。。
そして、施術をするセラピストは、
その人が大事にしてるものを、一緒に大事にできる
そういう存在なんだと思ったのでした
だってね
手術終わって、生活が以前のように暮らせるようになってくると、
もはや、命さえ助かればどうでもいいなんて、私は思えなかったから
むしろ、限りある命だからこそ、自分の望む人生を生き切りたい、と思った
命が助かれば、その先に人生が続いているのなら
人は、今よりもよりよい状態を夢想してしまうもの
求めてしまうもの
でも、その気持ちを、その当事者じゃない人には、なかなか理解してもらえないし、
そういう思いがある事を口にすることもできず、
本当の願いを心の中に閉じ込めたまま、
満たされない人生を送っている人も、
いるんじゃないかと思うのです
恥ずかしながら、私は、乳ガンになってから、やっと想いを馳せる事ができるようになりました
日々感じる不調、不満、不足、、、、それを解消したいと願うことは、わがままでも、贅沢でも、ちっともないのです。
『命が助かったんだから、普通に暮らせるんだから、それだけでもありがたいと思え』
的な、他人からの無言の空気はスルーして
(もちろん、自分自身、多くの方々のお力のもと、命がある事をとても有り難く感じてます。
でもそれって、生きてる人みんなが同じなんですよね。
お陰様、お互い様で生きている。
それをリアルに実感してるかしてないかの違い。
だからって、他人様にそれを押しつけるような意識の持ち方に、
今の私は違和感や不快感を感じているという事です。。
という私も多分、過去に無意識にやってたと思うから。。
自戒を込めてます。。。)
望みや願いは、健康な時も、病になった後も、等しく同じに扱われていい
だから
綺麗になる事も
気持ち良い身体になりたいと言う願いも
夢を追いかけたい
幸せに暮らしたいという願いも
叶えていいのです。
あなたは、いまどんな人生を過ごしたいと思っていますか?
もし、あなたに心に思い描く夢や望みがあるなら、どんなささやかな事であっても、私は心から応援いたします^ ^